田舎暮らし、何かをやるなら、摩擦は当然

田舎暮らし、何かをやるなら、摩擦は当然

「何かをやるなら、摩擦は当然」

 

これは、私、菊池が、

常日頃、社内外でも思っていることですし、

特に、京都丹波の田舎では念頭に置いていることです。

そもそも人は、

「習慣に生きている生き物」ですから、

良い悪いの話以前に、変わるのが嫌いなワケです。

 

ですから、社内の誰かが、近隣の誰かが、

何かを始めるとなると、

習慣が崩れて、変化に晒される可能性があるために、

(無意識に)拒絶反応を示すもの。

 

拒絶反応が摩擦となりますから、

「何かをやるなら、摩擦は当然」と考えています。

 

幸いなことに、表立っては何もない

このような京丹波での日々ですが、

  • 古民家の隣に、いきなり新築を建て、
  • 畑も借りて、農家を巻き込んで農業をし、
  • 古民家を借りて、民泊や研修施設をやり、
  • 松茸山の入札に参加して、落札し、

というようなこの6ヶ月を送っているワケですから、

摩擦が何もないワケないし、

私が感じないワケがないのです。

そんなのカンケーない

何も感じないワケはないのですが、

それでも先ほども書いたように、

そもそも人は変わるのを恐る生き物であることから、

 

摩擦があろうが、それは、

 

相手がイメージが湧かないだけ

だから、良い結果が出れば、それでOKになる

 

という前提で物事を進めています。

 

荒っぽいじゃないか、と思う方もいるかもしれませんが、

やらないことには、良い結果も出ませんし、

良い結果を目の当たりにすることもできません。

ですから、摩擦があろうが、「やる」のが最優先。

 

まあ、田舎に住んで、何をするかは、人それぞれですが、

田舎的には新しいことに取り組むなら、

「摩擦」はあって当然だし、

それくらいは、折り込み済みが良いと思いますという私の考えでした。

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