田舎暮らし、何かをやるなら、摩擦は当然
- 2017.11.20
- 田舎暮らしの気づき
「何かをやるなら、摩擦は当然」
これは、私、菊池が、
常日頃、社内外でも思っていることですし、
特に、京都丹波の田舎では念頭に置いていることです。
そもそも人は、
「習慣に生きている生き物」ですから、
良い悪いの話以前に、変わるのが嫌いなワケです。
ですから、社内の誰かが、近隣の誰かが、
何かを始めるとなると、
習慣が崩れて、変化に晒される可能性があるために、
(無意識に)拒絶反応を示すもの。
拒絶反応が摩擦となりますから、
「何かをやるなら、摩擦は当然」と考えています。
幸いなことに、表立っては何もない
このような京丹波での日々ですが、
- 古民家の隣に、いきなり新築を建て、
- 畑も借りて、農家を巻き込んで農業をし、
- 古民家を借りて、民泊や研修施設をやり、
- 松茸山の入札に参加して、落札し、
というようなこの6ヶ月を送っているワケですから、
摩擦が何もないワケないし、
私が感じないワケがないのです。

そんなのカンケーない
何も感じないワケはないのですが、
それでも先ほども書いたように、
そもそも人は変わるのを恐る生き物であることから、
摩擦があろうが、それは、
相手がイメージが湧かないだけ
だから、良い結果が出れば、それでOKになる
という前提で物事を進めています。
荒っぽいじゃないか、と思う方もいるかもしれませんが、
やらないことには、良い結果も出ませんし、
良い結果を目の当たりにすることもできません。
ですから、摩擦があろうが、「やる」のが最優先。
まあ、田舎に住んで、何をするかは、人それぞれですが、
田舎的には新しいことに取り組むなら、
「摩擦」はあって当然だし、
それくらいは、折り込み済みが良いと思いますという私の考えでした。
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